『ロータリーの友』は、国際ロータリー(RI)の認可を受け、ロータリー・ワールド・マガジン・プレス(『THE ROTARIAN』とロータリー地域雑誌の総称)の一員として発行されているロータリーの地域雑誌です。
ロータリーを語る時、ロータリーを思う時、私たちの心の中には各人にとってのロータリーが広がっているはずです。一人ひとりの読み手の生き方によって読み方が異なってよいと思います。なぜ『友』を読むのか、の答えの一つがそんなところにもあるように思います。

2011年6月10日金曜日

2011年6月号 感想

 いよいよこれが最後のリポートとなった。担当委員会で喋るための資料として必要な時しかページを捲ることのなかった私が、ロータリーの友地区委員に指名されて1年、今では「友」の雑誌としての質の高さに敬服し「義務ではなく面白いから読む読者に変身した。おこがましい話だが委員になったからには、必ず横組みページにわが地区の記事を載せたいと企図してきた。九州新幹線開業に合わせて沿線の3地区が連携して広報イベントを展開するという願ってもない企画が持ち上がり、これはチャンスとばかりに全身全霊で挑んだが、実施前日に東日本大震災が勃発、全面中止。無念の涙を呑んでいたところに編集部から準備風景だけでも送って下さい、という有難いお話をいただき、今回横組み34 ,35頁に掲載されるに至った。満足です。
 今月号はやはり東日本大震災関連の記述に関心がいき、先月から特集されている『その時・・ロータリーはいち早く動いた』にまず目を通した。被災地に隣接する仙台青葉RCの緻密で的を得た支援活動に感動。命を繋ぐ初期の支援~、心を和らげる温泉サービス、更に被災者が生活復帰するため、マッチンググラントを活用した「教育環境への支援と生活基盤整備支援」凄いの一言につきる。また報告されていたスリランカや台湾の姉妹クラブをはじめとする海外からの迅速で温もりのある支援、ロータリー財団が設置した「災害復興基金」に寄せられた世界中の善意等々。改めてロータリーが善意ある人々の途轍もなく大きく強い組織である事を思い知らされた。会津若松RCの関盛夫会員が仰るように「私はロータリアンで良かった」。全く同感です。前頁に戻って、『ロータリー親睦活動グループ』の記事、マラソン、音楽、テニス、更には鉄道マニアやグルメといった共通の趣味を通してロータリアンであることを最大限に楽しんでいるRI認証グループの紹介、「ロータリーに他人はいません。まだ会ったことがない友人がいるだけです。」という言葉が印象的だった。また先月に引き続いての『私がロータリーに入ったころ(2)』は現代の風調を已む無しとしながら、昔の緊張感とロータリアンとしての誇りを懐かしむ声が多く、豪快な世話焼きの存在こそがロータリーの至宝、とする横浜旭RC辻修会員の意見に共感した。
 縦組みの頁『SPEECH』では元RI理事の今井静雄氏が「明治時代に日本を担ったのは皆20代の若者という史実を例にとり、新しい文化を担っていくのはその時代の人々であり、新しい技術や考え方を行使する人は新たな視点から時代を読み、責任の持ち方を考えなければならない。だから今回の震災で脆弱さを露呈した原発は人災であり、情報化社会が非人間化という側面を持っていることを忘れてはならない。」とされた。これからの時代を担っていく人達は国という意識を取り払い「人間だから」という意識であらゆるモノを見直さなければと言う事なのだろう。『この人この仕事』の新潟南RC大谷勝彦会員。
 商品を入れる袋に自宅の電話番号を入れるという発想に仰天した。クレームが商売の糧になるとは思っても実行は難しい、「幸せだから感謝するのではなく、感謝するから幸せになれる。」自ら難病と闘いながら、障害者雇用と積極的に取り組まれ「病気も有難い、病気があるから頑張れた、少しは周囲に優しくなれた」と仰る。言葉の温かさは受け売りではなく生き方から滲み出たもの、と取材された水村さんが記されていたが、全くその通りだと感激した。最後に表紙の事、今回も素晴らしい。オホーツクに落下する滝のこの世のものとは思えない色彩、写真もまた崇高な芸術である。

ロータリーの友地区委員 深尾兼好